いそいそと1人部活

己を知る取り組みとしてのブログ

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この世で一番美しいものは、思い出である

私の青春は「音楽」だった。

 

高校時代までやっていたバンドが自然消滅し、大学に入った頃からは、既存曲はやらずにセッションをするようになった。学生時代は暇だったこともあり、多い時には週3回くらい友人とスタジオに集まり、音楽で遊んでいた。友人が叩くドラムと合わせるように、ギターを弾きながら、適当な言葉をメロディにのせていく。その場で次々にアイデアが生まれては展開していく様は、実にスリリングな体験で、すぐに夢中になった。事前打ち合わせしていないのに、決めがバシッと決まると最高に気持ちよかった。

 

20代の頃は、この音楽活動さえあれば、自分は何とかなると思っていた。嫌なことがあっても、ギター弾いて声を出せば、それが何かしらの形となって、自分の気持ちを代弁してくれた。自分の心理が、言葉(歌詞)として直接的に表れるときもあれば、メロディーや和音、リズムで体現されることもあった。音楽は言葉よりも雄弁だった。大学院進学に挫折した時も、自分から生まれた音楽にとても勇気付けられたのを覚えている。いや、勇気づけられた、というよりは、自分の不安定な気持ちを確認できたことで安心した、という方が近いかもしれない。この当時の私にとっての音楽は「それで飯を食う」という野望を抱くようなものではなく、自分の深層心理を映して確認する「精神安定」のための役割が大きかった。

 

社会人になって参加人数や回数は減ったものの、週1回、少なくても月1回のセッションは続けてきた。スタジオに行く日は会社を定時で上がり、発泡酒のロング缶(セブンのBREWが定番)3本を買い込み、それを飲みながら2時間、歌ったり、ギター弾いたり、ドラム叩いたりする。友人と「○○(バンド名)っぽいな」とか「やべぇ名曲できたわw」とか身内で自画自賛しながらゲラゲラ笑う。その後に、日高屋でレモンサワー片手にそら豆や豚骨ラーメンを食べながら、延々と音楽談義をして、終電間際になって帰る。20代はこんな日々が唯一の輝ける生きがいだった。

 

スタジオでセッションをするとだいたい10曲くらいできるので、これまで生まれた曲は2000は超える。ある時期からは全て録音しているので、今でもそれ等を聞き返すことがある。大抵は酔っ払いが作った駄曲ではあるが、中には光る曲もあり、この曲のこのメロディは抜群だな、とか、この日の自分は神がかっているな、とか、この曲はアレンジ詰めたら名曲になるな、とか、1人で色々な妄想をこねくり回しては、悦に入っている。そういう時間が好きである。録音しておいて本当に良かった。宝物である。

 

30歳になる頃には、私も友人も家庭を持ったり、仕事が忙しくなったりで、スタジオに入る頻度が季節に1回、半年に1回となった。最近はコロナ禍もあり、スタジオに入ろうとも、飲もうぜ!ともなかなか言いだせず、最後にスタジオに入ってから1年が経とうとしている。

 

そう思うと寂しいが、潮時なのかなとも思う。20代の頃に作った曲を聴くとその時に感じていた気持ちをリアルに思い出し感慨深いのだが、近年のセッションで生まれる曲は聞き返してもあまり感動しないのだ。音楽(セッション)にかける思いが弱まっているだと思う。今の私には家族がいるし、仕事もそれなりに楽しくやれてるし、このブログやTwitterで自己表現も出来ている。音楽にしか拠り所がなかった20代の頃とは違い、今は自分の居場所がある分、セッションで自分の深層を確認する必要性が薄まっているのかな、とか思う。

 

思い返せば、よくあんな重たい機材を持って、雨の中でも自転車に乗って、電車に乗って色んなスタジオに移動していたな。若いからか、バカで、真っすぐだったな。スタジオ後の日高屋打ち上げを含めて、大好きな時間だった。そのための苦労は苦労とも思っていなかった。スタジオに向かう道すがら、今日はどんなセッションになるかと、活舌のトレーニングをしながら、いそいそと歩いていた時を思い出す。なんだか遠い昔の思い出のような気がして来て泣きそうである。思い出は、この世で一番美しいものだ。

 

今はこういう状況なので、スタジオに入って友人と音を出すことはできない。とりあえず、新たな方法を模索して音楽で遊びたいなとは常々思っている。そしてまたいつか、友人とスタジオでセッションをやりたい。やっぱりやりたい。1年に1回でいいからやりたい。ライフワークにしたいと思っている。気の置けない友人とクスクス笑いながら、曲を生み出す喜びは他の何物にも代えがたいのだ。

 

(完全な自分語りポエマーになってしまった。楽しかった)